“昔、後輩が見ず知らずのおばさんに地下鉄でいきなり痴漢呼ばわりされて駅員迄呼ばれて散々反論したら「顔が気に入らなかったから嘘をついた」ってのを聞いた事があるので本当に痴漢冤罪怖いと思ってます。”
— タツコマ※喪中さんはTwitterを使っています (via mug-g)
“昔、後輩が見ず知らずのおばさんに地下鉄でいきなり痴漢呼ばわりされて駅員迄呼ばれて散々反論したら「顔が気に入らなかったから嘘をついた」ってのを聞いた事があるので本当に痴漢冤罪怖いと思ってます。”
— タツコマ※喪中さんはTwitterを使っています (via mug-g)
“南青山児童相談所の建設の件、その町の人とお話したら「町内会の人は満場一致で賛成でした」とのこと。古い人も新しい人もみんな賛成だったそうで。「え、そんじゃ誰があんなコト言ってるんですか?」と尋ねたら「それが、実は青山に住んでない人なんですよ」みたいな怖い話だった。”
“ベストアンサーに選ばれた回答 以前旅館で働いていました。 できればそのままにしてほしいです。 シーツはぎ取るのに楽だし、布団も、「の」の字にたたむ旅館と、「Z」字にたたむ旅館とあります。 その旅館により、ルールがあり、ふと、お客さんが押入れを開けた時も美しくあるように心がけています。 そのため、善意でたたまれると、その場で広げてたたみ直しは失礼にあたりますし、 結局仕方がないから、そのまま押し入れに入れて、退室後にまた出してたたみ直したりします。 善意なのはわかるのですが、押し入れに入れられるととてもがっかりします。 汚してしまった場合は、確かにそのままにして置きづらい気持ちはわかりますので、 丸めて隅においておいてもいいかもしれません。 一言声をかけてもらうとすごい助かりますが、恥ずかしいでしょうし、そこまでは求めません。 ただし、吐いてしまった場合は必ず教えてください。 聞いた話ですが、丸めてあったので、持ち上げたら、思いっきり中からおう吐物が流れて、さすがに気分が悪かったそうです。 スタッフもクリーニング業者に出すときには、袋に入れて、別に一言添えて出しています。 浴衣等は、隅に置いておいていいと思います。 たたむ必要はありませんが、女性ならたたんでおいた方がいいかもしれません。 実際には、一つの浴衣を風呂敷のように広げて、他の浴衣を全部入れて持ち運ぶので、たたまれると一度広げてという動作が面倒くさいです。 男性なら、迷わずそのまま、ぽいぽい投げておいてください。 一か所に置いてあると、助かります。 帯や、丹前・羽織などは汚れていなければ、毎回クリーニングに出すわけではないので、別にしておいてもらえたらベストですが、 お客様なんだから、そこまで気にする必要もないかとも思います。”
こんにちは。
「郷愁」という情動の発生に対して多くのひとが同じ反応を示すのは、それは「喪失感」だと思います。
心理学では古くから情動の分類が行なわれてきましたが、「郷愁」というものに関しては、何故かあまり具体的には語られていません。ですから、飽くまでこれは知見の引用ではなく、現象の分析による個人的な見解ということでご容赦下さい。
ここで流す涙は「情動性分泌」に当たり、大脳辺縁系に発生した「情動反応」が自律神経系に出力されることによる「情動性自律反応」です。
大脳辺縁系といいますのは感覚器官から得られる知覚情報を基に情動反応を発生させる中枢です。これにより、我々は与えられた環境の変化に対応した「適切な感情」を発生させています。そして、ここでその情動反応の規準として用いられているのは「情動記憶」という学習記憶です。ですから、何に対してどのような情動を発生させるかは生後体験によって決められたものですので、それは個人個人でみんな違います。つまり、ウルトラマンに涙するか、ドラえもんに涙するかはひとそれぞれなんですね。
では、何が「郷愁」という情動を発生させているかは個人個人で異なるのに、どうしてみんな同じ反応として現れるのでしょうか。残念ながら、この辺りにこれといった学術的見解が見付からないんですね。ならば、その反応を発生させている対象以外に、そこには何か別の共通点があるはずです。そして、誰にとっても同様の共通点といいますのは、
「それが遠い過去の体験である」
ということですね。
そして、現在も体験中であったり、何時でも手に入るものであるならばそのような反応は発生しません。従いまして、郷愁として我々の情動を動かしているのは「喪失感」ということになります。もどかしいばかりですね。
大脳辺縁系の情動反応といいますのは学習記憶を基に発生するものです。ですから、同じ体験、同じ刺激入力がありますならば、過去と同じ情動が発生します。ですが、質問者さんが子供の頃にウルトラマンを見ていたとき、そこに発生していたのは郷愁ではなく、喜びや感動であったはずです。従いまして、長く時を隔てて発生したそれは、当時と同じ反応の再現ではないということになります。
もちろん瞬間的には、ウルトラマンの姿やテーマ・ソングは当時と同じ「報酬刺激」として入力されます。ですが次の段階では、ここに「感受性の喪失」という感慨が伴うことになります。
誠に残念ながら、我々は年齢と共に必ず感受性を失ってゆきます。「感受性の喪失」といいますのは、情動行動に対する計画行動(理性行動)の比率が高くなるために感情が表に現れなくなるということです。子供の頃は誰でも情動行動の比率が高く、感情の起伏というのは大きいのですが、やがて成長に従い、大脳皮質の発達と体験学習の積み重ねにより、計画行動の比率がどんどん高くなってゆきます。そして、これは誰もが体験することであり、決して後戻りはできません。
情動記憶といいますのは学習記憶ですから、例えば「懐メロ」のように、まだ感受性の高い若かりし時代に聴いた曲でありますならば、それはより強い情動反応として記憶され、再生されるはずです。ですが、ただひとつ違うところは、いまの自分には、当時と同じ感受性の豊かさそのものを見出すことができないということです。
このように、郷愁という情動の発生において多くのひとに共通する要素とは「喪失感」であると思います。そして、この喪失感といいますのは大脳皮質の論理的な思考によって判定されているものではなく、大脳辺縁系の反応規準として獲得されているものです。つまり、我々は自らの成長の過程で過去の再現という状況を繰り返し学習することによって、それを反応規準として身に付けているわけですね。これは大脳辺縁系の無意識記憶ですから、「取り戻すことができない」といった具体的な意識が大脳皮質に発生しなくとも、自律神経系は活性化され、涙の情動性分泌は起こります。これが、質問者さんがウルトラマンを見た瞬間に涙の止まらなくなった理由だと思います。
では、失ってしまったもの、欲求の実現が阻止されているものに対し、どうして「怒り」や「憤り」といった情動が発生せずに、必ず「喪失感」という諦めが選択されるのでしょうか。それは、問題解決の手段が見出せないからです。
我々の脳は、大脳辺縁系に発生した「不快情動」に対して問題解決が成されない場合は「諦める」という結果を選択することができます。これは、大脳辺縁系に発生した情動信号を受け取る「中脳中心灰白質」の反応によって切り替えられると考えられています。問題解決の機会が残されているならば、そこには期待や幸福感、あるいは攻撃行動といった能動的な状態が維持されるはずです。ですが、失った過去を取り戻すことは絶対にできません。
田舎の風景に郷愁を感じるならば、一度故郷へ戻って両親や友達の顔を見れば良いわけですが、それが問題解決にならないというのは、その頃の自分に戻ることはどうしてもできないからです。全く以って、もどかしいばかりですね。
